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〒409-1304 山梨県甲州市勝沼町休息1599
ぶどう祭りの歴史
勝沼では、江戸時代初期に鳥居焼きが行われていて。当時は7月15日に柏尾大善寺の盆の送り火として行われていましたがその後、ぶどうの豊作を祈る病害虫駆除の祭りとして受け継かれました。
明治時代に入り、甲府盆地各地の盆の送り火の祭りは、一斉に取り止めとなり、その後明治40年に復活しましたが、続く災害により3年で取りやめとなりました。
大正年間は休止したままでしたが、昭和29年に勝沼・祝の青年団を中心に「葡萄祭り」として、勝沼の雀宮神社の祭礼と合わせて復活されました。その後、戦争の勃発で中止となり、戦後、昭和21年、果樹地帯の祭りとして、―宮浅間神社を会場に「第1回葡萄祭り」が実施され、昭和23年に15年ぶりに、「第3回葡萄祭り」記念の「鳥居平火祭り」として復活しました。
昭和29年の新制勝沼町誕生以後は、この年を「第1回ぶどう祭り」とし、10月15日の記念行事として、勝沼町上げての祭りとして継承され、昭和37年にぶどう観光シーズンに合わせ10月1日に変更され、平成2年に10月の第一日曜日に実施することとなり、現在に至っています。
この長い歴史を経た「ぶどう祭り」は、盆の送り火として先祖を忍び感謝する大善寺の祭りと、一年の収穫など神々に感謝する雀宮神社の祭りとがー緒となったものです。
昭和29年当時の町が合併された様子を現すように、勝沼・ 祝・東雲・菱山地区の神社の氏神が子供御輿に乗って、町の中心に一同に集まり渡御するといった、全国的にもめずらしい、歴史の流れを受け継いだ貴重な祭りとなりました。
ぶどう産業がさらに盛んになり、全国に勝沼を紹介していくため、観光を目的としても行われ続けた、イベントの集合体としてのぶどう祭りとなりました。
古くから雀宮みこしが担がれていましたが、平成3年雀宮神社の大人御輿の担ぎ手が少なく、この年大人御輿に限って祭り広場内を有志にて担いだのが最後で、その勇ましい姿は消えてしまいました。
平成17年3月22日、平成大合併により、旧塩山市・勝沼町・大和村が合併し、甲州市が誕生。甲州市かつぬまぶどうまつりとして、観光中心的なお祭りとなりました。
平成22年の甲州かつぬまぶどう祭りに、20年ぶりに雀宮神社の大人御輿が地元有志が中心となり、県内外から担ぎ手を募集して雀宮みこしが復活しました。
そして、さらにぶどう産業やワイン産業が盛んになり、甲州市を紹介する観光を目的とし、現在も続けられています。
先人から続けた、祭りの集合体としてのぶどう祭りは、勝沼町内をくまなく走る聖火の火は、烏居か見えない地域の人々が、その炎に先祖への供養、想い、そして1年の感謝の願いを込めるためのもので、その町民の願いが込められた聖火の火が、各地域の聖火が本隊に集まり、鳥居へと点火されるものです。長い歴史と意義を持つ、観光を目的とした祭りの集合体として、ぶどう祭りは様々な形で変化してきています。
ぶどう祭りの歴史を振り返ることにより、祭りの魂、核となる精神的なもの、心を確認し、未来へつなげていくことか、現在のぶどう祭りに大切ではないかと語られたその言葉に、私たちの暮らし、生き方につながるものを深く心に感じました。
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廣瀬 幸司
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佐野 久